日本でラーメンが国民食になるまで

中国からかん水を使った中華麺が伝わる

日本で初めてラーメンを食べたのは、水戸黄門としても知られる水戸光圀である、というトリビアがあります。
正確には、初めてかん水を使った中華麺を食べたのが水戸光圀であるというところです。
これは、中国から水戸光圀によって招かれた儒学者が、中華麺や中華風の汁そばを伝えたものです。
実際に多くの人に中華風の麺料理が知られるようになるのは、日本が開国をした明治時代からです。
明治から大正にかけて、中国との交流が増え、その結果中華料理や今の形に近いラーメンを出す店ができてきました。

本格的なラーメン文化は戦後になってから

しかし、今の日本のラーメン文化の元となっているのは、どちらかというと戦後の中国からの引き揚げ者の影響が大きいです。
この時期は物資が不足しており、米も高値でした。
比較的安い材料で作ることができたラーメンを、中国でその製法を学んだ引き揚げ者が屋台で提供したことで、その味がどんどん広がっていきます。
そして、インスタントラーメンやカップラーメンの存在も、ラーメンをなじみ深い国民食の立場に押し上げる大きな役目を果たします。
初めてのインスタントラーメンである、日清チキンラーメンの発売は1958年です。
ここから「支那そば」「中華そば」と言われていたものが「ラーメン」という名前で広がっていくことになりました。
その13年後、1971年には初めてのカップラーメン、日清のカップヌードルが販売されます。
これら商品の開発と、各地で爆発的に増えたラーメン店により、ラーメンは中華発祥でありつつも、日本独自で愛される麺料理として定着します。

ラーメンが多様化、次々と新種のラーメンがブームに

現在、まさに国民食となったラーメンは多様化の時代を迎えています。
平成の初めには、それまで九州以外では比較的マイナーな存在であった「とんこつラーメン」が、東京で大ブームになります。
その後、「家系ラーメン」「ご当地ラーメン」「魚介つけ麺」など、数々のブームにより、今では「醤油」「味噌」「塩」だけにとどまらないいろいろなラーメンが食べられるようになりました。
そんな多様化もあり、「新横浜ラーメン博物館」などのラーメンのテーマパークや、イベントも大人気となっているのが現在のラーメン文化です。
今後は、世界各地の文化と日本のラーメンが融合することで、また新しい形のラーメンが出てくることも考えられます。

横浜黄金町で有名なラーメン屋